2017年2月12日(日)

~第一権力からの「自由の防波堤」~

1.第一権力としてのマスメディア

政治学的権力として、日本では、
司法・行政・立法の三権分立が成り立っており、
それに加え、近年では第四権力としてのマスメディアの存在があります。

しかし、現代においては、
第一権力とは、何を隠そうマスメディアであると思います。

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それは、支持率一つで、ときの政権を総辞職に追い込むことができ(※支持率は操作できる)
選挙においても、有利な報道をされた候補者が当選してしまう。

また、例えば、原発は危険だという報道がなされると、日本のエネルギー事情や安全保障上の問題、電力コスト等を考えると、原発は非常に有用なものであるにもかかわらず、そういうことの真実を見極める必要があるのに、皆が原発は悪だと信じ、大半の世論が原発反対派になってしまい、政治的にもそのように舵取りがなされてしまう。

沖縄の米軍基地は、近年の日本を取り巻く中国や北朝鮮の動きを考えると、絶対に必要なものであるし、沖縄の米軍基地がなければ、現在の日本の自衛隊では、日本を防衛しきれない可能性が高いにもかかわらず、
マスコミから、沖縄の米軍基地が悪いという印象の報道がなわれると、日本中の国民がそういう意見だというように錯覚されてしまう。

以上のことを考えてみても、やはり、現代においては、マスコミうが第一権力であるということは明々白々であります。

まさに、マスコミの筋書き通りのシナリオが展開されてしまうという現実を目の当たりにしたときに、そう言わざるをえません。

確かに、政治が悪いときや、国民を弾圧したりしているときは、それに対抗する権力としてのマスコミというものは、非常に大切であるし、心強いものではあります。
そのような意味において、報道の自由というものは、しっかりと守られるべき国民の権利であり、侵してはならないものでると思います。

しかしながら、そのマスコミ自身が、政局をも左右するようになるくらいの強大な権力を持つようになると、話は別になります。

それは、マスコミが政治をコントロールするようになり、かつての第一権力を操作できるようになると、それによって国民の幸不幸が左右されてしまうからです。
しかも、本来、そうした行政などの政治権力から国民を守る防波堤の役割を果たすべきマスコミが、第一権力を掌握するわけですから、それから国民を守る防波堤はありません。

そのような意味で、マスコミ関係者には、政治家に求めらるような、より高度な道徳観、倫理観、教養、正義観などが求められると思います。

それに加え、多数のマスコミは、独立自尊の精神で、自社が考える道徳観、倫理観をバックボーンとした報道を、他社や政治権力等に影響を受けない形で情報を発信していく必要があります。

そして、国民に対して、情報の取捨選択をさせる「選択の自由」を与える必要があるのです。

そうして初めて、国民は、自らの責任において、情報を取捨選択し、様々な判断、決定を下すことができるのです。

しかしながら、現代のマスメディアは、各社間で談合がなされ、ほぼ同じ意見に統一された上で発信されており、そうした情報の「選択に自由」を国民に与えることが不可能になっております。
これをもって洗脳というのではないでしょうか?

人々が「選択の自由」を与えられ、その中で、自らの責任で情報や信条を選び取って、自らのものにしていくことは洗脳とは言いません。

その意味で、例えば、宗教だから全てイコール洗脳されると言うことではないのです。
つまり、宗教内部においても、情報の「選択の自由」が保証され、ある宗教内部の情報や信条以外は選択してはならないと制限されていない宗教は、洗脳されるとは言わず、
その宗教を信じる信者が自分の責任で選択して、「信じて」いるということなのです。

しかし、現代の日本において、マスコミから発信されている内容は、ほぼ、どのテレビ番組を見ても、同じ意見でなされているので、国民には「選択の自由」はなく、知らず知らずのうちに、マスコミの思うがままの方向に扇動されているのです。

2.SNSやインターネットの普及で、その第一権力にも変化が生じつつある

近年、フェイスブックや、ツイッターなどのSNSの普及により、そうした今までの絶対的第一権力としてのマスメディアという構造にも変化が生じてきつつあります。

それは、最近であれば、アメリカ合衆国において顕著に見られました。

それは、トランプ大統領が勝利した、2016年11月の大統領指名選挙においてでございます。

CNN、BBCなどの大手ニュース番組や、タイムや、ニューズウィーク、ウォールストリートジャーナル、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなどの大手新聞・雑誌社などは、軒並みクリントン候補が勝利するものとして、報道をしており、トランプを痛烈に批判しておりました。

しかし、(※一部には、ロシアによる情報操作があるとは言われましたが)主にツイッターなどの草の根情報網では、トランプ支持が広がり、みごと、トランプ新大統領が誕生するに到りました。

これは、まさに、第一権力としての大手マスメディアが敗れた瞬間でもありました。

アメリカ合衆国では、メディア事業への参入は日本よりも自由にでき、様々な情報発信媒体が存在し、アメリカ合衆国の国民は日本国民よりも、情報を取捨選択するという意識が高かったという面は否めないと思いますが、蟻の大群が大きな像を倒したような印象がございました。

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦

 

3.日本国民に情報の「選択の自由」を根付かせ、マスコミ界により真実に近い情報を発信してもらうために

基本的に、一つの権力が肥大化すると、腐敗するというのが、歴史の真実であり、それを防ぎ、悪王や、強大な政治権力から国民を守るために、民主主義制度や、三権分立などの政治制度が生み出されて参りました。

また、どの世界でも、ライバルがいなくなり、競争の原理が失われると、組織は腐敗し、弱くなるという現実がございます。

その意味で、日本の電波業界、メディア業界にも、参入の自由を認め、既得権力が有利にならないように、自由競争を促すような構造にしていく必要があると思います。

経済の世界や、スポーツの世界でもそうですが、自由な競争があることで、お互いに磨かれ、切磋琢磨し、その業界全体の品質向上につながるということは無視できない真実であります。

つまり、メディア産業への参入を自由化することにより、既存のマスメディアとは違う新たなマスメディアが誕生し、各社が独立自尊の精神で、自社のポリシーに合った、社会全体の倫理観、道徳観、正義観が向上するような報道をしていくことで、マスメディアの権力は分散され、自由競争により各社が切磋琢磨することでより質の高い情報、より真実に近い情報を国民が選択できる「選択の自由」がもたらされるのです。

そうして、より質の高い情報を自らの責任において選択できる国民は、自らで考え、自らで選んでいかねばならないので、自らの教養を向上する必要性がでて、国民全体の国民性が向上していくのだと思います。

また、それと同時に、SNSの普及も広がっていく必要があると思いますが、SNSは発信の責任の所在が曖昧になる場合があるので、そこは一つの問題点でもあると思います。

4.新たな権力からの防波堤としての宗教などの非営利組織や企業組織の存在

経営学者のピーター・F・ドラッカーは、政治的な権力から国民を守るための、そして自由を守るための防波堤として、
企業や宗教、協会、ボーイスカウト、ガールスカウトなどの非営利組織の重要性を語っております。

それは、現代においては、政治権力だけではなく、マスメディアなどのあらゆる権力から国民を守るための、そして自由を守るための防波堤として、それらの企業や、宗教などの非営利組織はますます重要性を増してきていると思います。

そのようになるためには、組織が一定の規模まで大きくなる必要がありますが、そうした各組織が、独自の草の根の情報網を持ち独自の情報発信網を持つということが、非常に有効であるのだと思います。

しかも、その組織には、高い倫理観、正義観などが求められるので、より社会に対して有益で、かつ国民を権力から守り、自由を守る防波堤としての組織としては、正しい宗教というものが求められるのではないかと思います。

ドラッカー名著集11 企業とは何か

そのような意味で、今現在、片隅に追いやられていると思われている、正しい宗教の存在意義というものは、国民の自由と思想・信条の自由を守るための最後の防波堤として、ますます大きなものになっていくのではないでしょうか!?

以上

Faust