〜大いなる力には大いなる責任が伴う!〜

ご覧になった方は、かなりいると思いますが、
映画、スパーダーマンでは、
With great power comes great responsibility.
「大いなる力には大いなる責任が伴う。」

というセリフが何度か登場します。

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スパイダーマンであるピーター・パーカーは、何度もこの言葉に苦しみます。

彼は、普段は脆弱な青年ではありますが、ひょんなことから強靭なパワーを宿し、まさにスパイダーマンへと変身するのです。

偉大なるパワーと引き換えに、スパーダーマンになった彼に待ち受けているのもは、
まさに、偉大なるパワーを持つものとしての責任を果たすということと、
普通の青年としての人並みの幸せを手に入れたいということとの葛藤であり、
愛すべき人から理解されにくいということとの葛藤であります。

これは、まさに、平安時代の平清盛の長男である、平重盛が言ったように、
「忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。」
という状況であります。

すなわち、主君に忠義を尽くそうと思えば、親のへの孝行という面で反することになり、はたまた親への孝行を尽くそうと思えば、主君への忠義に反するという、
これまた辛い現実であります。

これは、スパーダーマンでいうところの、
「正義を実現しようとすれば身近な人によく思われず。身近な人に愛されようと思えば正義に反してしまう。」
ということではないでしょうか?

これまた、辛い状況ではあります。

しかしながら、スパーダーマンが普通の幸せを望み、スパイダーマンとしての偉大なるパワーを放棄しようとすれば、
多くの人が苦しみ、身近な人をも危険にされしてしまうということになるのです。
※スパイダーマンの場合、スパイダーマンであること自体で、身近な人に危険が及ぶ(悪い奴に狙われるから)が、偉大なる力を放棄した時の方が、より広範囲で不幸になる人が増える。

これは、こういうことではないでしょうか?

偉大なる力とは、それを持つものがその力を行使しなければ、
より大きな悪が蔓延してしまうのです。

そして、その偉大なる力とは、ある意味で、神に与えられるものであるので、より高次なものを実現するために、多少の犠牲はその責任を果たすという意味で看過しなければならないものであるのです。

これは、比較考量の問題でもあります。
どちらが、より大きな善なのか?
どちらが、大きな目で見たときに神の正義を実現できるのか?

ということであると思います。

このような観点は、
スパイダーマンだけではなく、キャプテン・アメリカなどのアベンジャーズシリーズ全般に出てくる論点だと思います。

私は、まさに、このアベンジャーズシリーズは、現代のアメリカ合衆国に二重写しになって仕方がありません。

すなわち、アメリカ合衆国という国そのものが、
スパイダーマンであり、キャプテン・アメリカなのです!
まさに、アベンジャーズなのです!

これは、偉大なる力を有してるものとして、必然の結果であるとは思います。

アメリカという国家は、多くの人に羨ましがられ、かつ多くの人に嫌われています。

しかし、アメリカが、世界最強の軍隊を行使しなければ、より大きな悪が世界を席巻してしまうのです。
誰も、そのようなことは望みません。

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そうまさに、
With great power comes great responsibility.
「大いなる力には大いなる責任が伴う。」
のです。

この責任は、放棄することは許されないのです。
この偉大なるパワーと責任を放棄すれば、現代の世界に正義を実現できる国は存在しません。

その意味で、アメリカ合衆国には、世界最強の偉大なるパワーを持つ国としての責任を果たすために、本当に頑張っていただきたいと思います。

もちろん、日本も、実質世界第2位の経済大国として、偉大なるパワーを持ち、アメリカと伴に自由を守るために責任を果たしていけるように自己変革する必要があると考えます。

Faust