2015年11月22日(日)

~企業の真価が問われる時~

企業において、その真価が問われるのは、クレームに対する対応ではないかと思います。

企業、そして、組織を動かしているのは、人間である以上、ミスは必ず起こり得ます。
むしろ、ミスや落ち度が全くないと豪語する組織・企業ほど疑うべきもので、まゆつばものであると思います。

しかし、そのミスをした時、または、正当な理由で、お客様にクレームを入れられたとき、どう対応し、どう応えるかで、その後の評判や、世間的な信頼度が全く違ってくるのではないかと思います。

顧客が求めているものは何か?
それは、そのミスが起こった原因でも、言い訳でもなく、
”誠実な対応”、つまり、”誠実さ”なのではないかと思います。

クレームに対する対応が、誠実であれば、むしろ小さなミスなど問題ではなく、その企業や組織に対する信頼度、評価は上がるのだと思います。

顧客は、誠実さ、安心を求めます。

クレームや、ミスに対する対応が誠実であれば、顧客のその企業に対する評価はうなぎ昇りとなり、
普段から、広告などで、誠実なサービス、きめ細かいサービスなどを宣伝しても、ミスなどをしてしまったときに、責任逃れや、責任転嫁などをする企業は、一気に信用を失い、どんどん顧客が離れていってしまいます。

大事なのは、”誠実さ”であり、それは、“信用”でもあります。

今の日本のような資本主義・自由経済社会では、特にこの誠実さ・信用というものがとても大事であり、誠実で、信用のある企業、組織、そして、人が富んでいくのであると思います。

このような資本主義・自由経済社会では、誠実であり、信用のある企業が繁栄し、そのような人がお金持ちになるので、マクロ的に見れば、誠実な社会になっていくのです。

逆の見方をすると、誠実さや、そういった美徳と言われるものが浸透している社会というものは、そのような社会に属する人や、企業、組織が誠実で、信用がありますので、繁栄し繁盛しやすいのだと思います。

そのような意味で、社会的な啓蒙活動、道徳教育、そして正しい宗教の広がりということは、繁栄した社会をつくるためには、必要不可欠なのことだと思います。

社会学者のマックス・ウェーバーは、その著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神」の中で、資本主義が発達する過程で、キリスト教のプロテスタント的な宗教観、倫理観、道徳観の広がりが必要であったと言っております。

つまり、誠実で、信用のある国、企業、組織そして人が繁栄するのであります。
そして、企業の真価とは、その“誠実さ”が垣間見れる部分、すなわち正当なクレームに対する対応に現れると思うのです。

Faust