2016年1月14日(木)

物理学、奇跡と神秘性、神の存在

科学・物理学を論ずるにあたり、序論として、以下のことを論じたいと思います。

自然科学、物理学の世界では、常識でありますが、地球という、生命が生存し、水も、空気も、太陽の光もあり、気温も適度であるような環境の星は、まさに、奇跡であるというのが通説です。

それは、その通りである、まさに、奇跡である!

しかし、その奇跡は、神という存在を抜きにした奇跡、偶然による奇跡という説が学問の世界、物理学の世界では有力である。
それは、宇宙の起源についても、同じように、ビックバンによって宇宙が広がり、偶然の奇跡により宇宙ができたという説が有力である。

しかしながら、偶然が重なるということは、それは、もはや偶然ではなく、必然となるのではないだろうか?
また、幾たびの奇跡が重なって、この地球ができ、人間がアメーバや猿から進化したということは、それは、もちろん奇跡ではあるが、それは、そこに何かの意志が介在していると考えるのが普通なのではないでしょうか?
それとも、本当に頭のいい学者は、そのような普通のことは考えない、だからこそ頭がいいということになるのか?

例えば、ラスベガスのカジノで、奇跡的にギャンブルに勝ち続ける男がいたとしよう、その男は、それは、「地球がこの大宇宙の中で、奇跡的に生命維持に適した環境に構成されたこと」くらいの確立で、スロットマシーンで勝ち続け、また、「人間が偶然にもアメーバから、魚、猿を経て人間に進化すること」くらいの確立でポーカーで勝ち続けたとしよう。

おそらく、その男は「奇跡の人だ!」と称賛されるよりも前に、いかさまを仕掛けただろうと疑われ、逮捕されるのが関の山である。

もう何が言いたいかお分かりだろうか?
それは、どう考えても、神がいるということしか考えられないのである。
神が、仕掛けをし、天文学的に小さな確率で起こりえる奇跡を起こしているのである。

なんで、宇宙の惑星は、全て球体なのか?
銀河は全て同じような形をしているのか?
分子、原子は、まるで惑星が恒星の周りを公転するような形に全てなっているのか?
物理学の世界では、構造は解明できても、その構造になった理由までは解明できないのである。
それは、そもそもをデザインした存在、「God」、「神」が存在しているという充分な理由になるのではないでしょうか?
いや、むしろ、そうとしか考えられない。

その意味で、「神は死んだ」のではなく、「神は死なない」
そして、「神は生きている」、「神はいつも存在しているし、過去にも、未来にも存在している」

と言うのが、これから、科学・物理学を論ずる上で、初めに言っておきたかったことであります。

Faust