2015年5月12日(火)

人生には、過去・現在・未来があり、僕たちは、人生というロード(道)の上を、過去を通り過ぎ、現在という時間を、未来に向かって進んでいる。
その過去・現在・未来の中で、僕たちは、過去を償うために生きているのか?それとも、輝かしい未来のために生きているのか?

映画「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」を見た。
映画の広告には、「今日という日を生きる、それが人生を素敵にする」とある。
主人公の一家は、代々、男がタイムトラベルの能力を持ち、主人公のティムは、21歳の誕生日にその事実を父親から聞くことになる。
その後、ティムはその能力を使い、やり直したい地点まで戻り、人生をやり直すということを繰り返していたが、その中で、どんな人や家族にも起こる、不幸や波風は、あらゆる能力を使ったとしても回避することができないのだと気づく。
そして、結婚し、子供もでき、幸せに暮らしていく中で、今日、現在という時間を大切に精一杯生き、その中にある幸福を見つけることが最も大事なことなんだと気づく、というストーリーである。

過去を後悔し、「あの忌まわしい過去がなければ、または過去を変えることができたら、今はもっと幸福だったのに」と思うときもある、確かにそれは否定できない。
また、「明るい、希望ある未来のために、今現在の幸福を多少は犠牲にして生きる」という考えもある。

しかしながら、逆に、今現在の努力により今という時間を幸福にできれば、忌まわしい過去も、いい思いでとして、胸の中にしまえるようになるだろう。
また、未来というものは、結局、今現在の積み重ねの結果であり、今を犠牲にしたら、その犠牲の積み重ねが、果たして幸福な未来を約束してくれるだろうか?犠牲の延長線上にあるものは、やはり犠牲しかないのではないか?と考える。

未来のために、努力する、勉強することは未来への投資であり、とても大事であり、むしろそうしなければならないし、そうあるべきである。
しかし、その努力は、今現在という時間を精一杯大切に生き、その中で幸福を見いだしていくということと両立していくべきであるとも考える。

Faust