2015年12月31日(木)

生産能力は富である

“もの”を生産できることは、豊かさ、富をもたらす。

言葉を加えるならば、必要な“もの”を、必要なときに供給できることが、豊かさであると思う。

つまり、これは、つくれば売れるということではなく、必要な“もの”、必要とされる“もの”を生産したときに売れるということである。

そして、先進国は、必要な“もの”を必要な時に、必要以上に供給することができる。

また、お金・貨幣は、富を引き寄せる可能性があるが、富そのものでもなく、その貨幣を媒介として、様々な必要な“もの”やサービスを提供できる市場があって初めて、その貨幣は存在意義を見いだすことができるのである。

例えば、「ジュース」を飲みたい時に、近くにコンビニや、自動販売機があるということは、「豊かさ」を享受したということになるのではないだろうか。

極端な話だが、同じ1,000円紙幣を持っている二人の男がいたとして、一人は砂漠に住み、一人は東京に住んだとする。
砂漠の男は、たとえ、1,000円全てを払ったとして、水一滴も飲めずにいずれ飢えに苦しむことになるが、東京に住む男は、その1,000円のわずか一部を払うだけで、コンビニで「ジュース」と「パン」、また吉野家や松屋、すき屋で牛丼や定食を食べることもできるのである。

例えば、日本という国を考えてみよう。
日本は、まぎれもなく世界の先進国の雄であり、先頃、中国にGDPが抜かれたといえども、実質的に、アメリカ合衆国に次ぐ、世界第2位の経済大国であり、世界有数の豊かな国である。

そして、日本は、天然資源は乏しいものの、資源さえあれば、あらゆる必要とされる“もの”を自国において生産することができる。それも、高品質で生産することができるのである。それは、「車」然り、「船」然り、「建物、橋、道路」然り、「新幹線などの鉄道」然り、「電力エネルギー」や、「インフラ全般」然りである。

しかしながら、発展途上国においては、どんなに大金を積んだところで、自国で、例えば「プリウス」を生産したり、「レインボー・ブリッジ」を架けたり、「新幹線」を走らせたり、「イージス艦」を製造したり、「原子力発電所を製造したり」はできないのである。

そして、発展途上国とは一体何が違って、このような豊かな国にない得てるのか?というと、それは、「智慧」と、その「智慧」を持つ人の数である。

「智慧」とは、「知識」ではなく、「知識」をふるいにかけ、さらに、経験に裏打ちされたものである。企業であれば、「ノウハウ」、「隠し味」などである。

Faust