2015年11月10日(火)

〈マーケティング論⑤〉

人生において、私たち人間が、限られていると感じるものはたくさんあります。

それは、人間関係であったり、お金であったり、家の大きさ、部屋の大きさであったり、テレビや、車の耐用年数であったり、ペットの寿命であったり、そして、自らの人生であったり様々だと思います。

その中で、最も大切なもの、絶対に限られているものとは何か?
それは、人生の「時間」であります。

人は、誰であっても、1日は24時間で、人生はせいぜい80年、長くても100年程度であります。そして、古来より、人間は不老不死、永遠の若さを求め続けました。
それも、ひとえに「人生」つまり「時間」には限りがあるということに尽きます。

その限られた時間の中で、いかにして人生を充実させるか?ということが大事なのではないでしょうか?
その同じ持ち時間の中で、ある人は億万長者となり、ある人は貧困の中ホームレスとなったり、ある人は大スターになり、ある人はプロ野球選手になり、ある人は平凡なサラリーマン人生を過ごすことになるのです。

ある意味で、時間は“魔術”を秘めているようでもあります。
その時間の“魔術”によって、その時間をどのように使うかによって、人は、全くの別人へと変化してしまうのであります。

この章は、マーケティングの話をしているので、哲学的な話はこの程度にしておこうと思いますが、
以上ようなことを踏まえ、企業、そして、顧客をもつ業種、それは、非営利団体や宗教もそうですが、
顧客一人一人が持つ、限られた「人生の時間」に“何を提供できるか?”
ということが問われていると思うのです。

そして、その中で、その人生の限られた時間の中で、
短い時間ではあるけれども、その中で、「感動した!!」、「幸せだ!!」などと感じることができたならば、それは、同じ10分は10分でも、何物にも代えがたい時間なのではないでしょうか?
それは、まさに「Priceless」、「お金で買えない時間」なのかもしれません。

私は思います、そのように感じさせるものは何か?それは、ただの“物”ではありません。
それは、真心であり、誠実さであり、他の人を幸福にしたいと思う、そういった思いなのではないかと思います。
もちろん、物を売る、サービスを売る産業では、その物を作る過程における、技術者や生産者、設計者の方がたの「ものづくり」に対する情熱や、その物の使用者に対する心遣い、
サービスを提供する側の、お客様への心遣いなど、そのようなものがダイレクトに顧客に伝わるのだと思います。

しかし、そのようなものは、物を売っている業種より、むしろ宗教などのソフト産業などが本来得意とすべきものではないかと思うのです。
それは、宗教とは、物やサービスを売るのではなく、まさに、「お金で買えない価値」“そのもの”を売っているからであります。

Faust