2015年11月10日(火)

〈マーケティング論⑤-宗教のマーケティングを考える〉

世にある、サービス業、または、ソフト産業の中で、最たるものは、「宗教」であると思います。

宗教とは、物を売っているのでもなく、サービスを売っているものでもないからです。
※それは、宗教は非課税であるということからもわかると思います。

宗教とは営利を目的とはしていないのです。
それは、あえて、言うならば、本当に「お金で買えない価値」を売っているのです。
「目には見えないもの」を信じさせ、人生の限られた時間の中で、「他のものには代えがたい価値」を提供するのです。
それが出来ない宗教は消滅します。

なぜかというと、「目には見えない、他のものには代えがたい、お金では買えない価値を提供すること」が、宗教としての存在意義そのものであるからです。

人生の時間を充実させ、輝かせ、その「宗教」に属さない人に比べると、人生の時間の密度が非常に高くなったと思うものが本物の宗教ではないかと思うのです。

それでは、宗教の中で、目には見えない、お金で買えない価値の最たるものとは何でしょうか?
それは、「神」、「God」、はたまた「仏」とのつながりなのではないでしょうか?
そして、そうしたものを信じること、そうしたものとのつながりを感じることが「信仰」ということなのではないかと思います。

そして、その信じるところの「神、仏」がどの程度の力を有しているのか?
それを信じることによって、どの程度、自分が幸せになるのか?はたまた、自分の周りの人が幸せになるのか?ということが、「お金で買えない価値」の部分ではないでしょうか?

その価値をしっかり提供できる宗教、説得できる宗教、そうした価値を感じてもらえる宗教が繁盛し、拡大していくのではないでしょうか?
そのような、本当に人々を幸せにし、人格を向上させ、人生の時間を密度の高いものにし、国を発展させられる宗教が本物の神がつくられた宗教であり、広がっていくべき宗教であると思います。

今回は、「お金で買えない価値」ということで、そのようなものを提供すべきものであるところの宗教について考えてみました。

Faust