2016年2月1日(月)

~大東亜戦争に見る、統合ソフトウェア能力の欠如~

1945年8月15日、日本は大東亜戦争において、アメリカ合衆国を中心とする連合国に敗北しました。

その、戦争自体の評価はここでは触れませんが、経営と言う視点から、その大東亜戦争での日本の問題点を検証していきたいと思います。

これは、私個人の主観であるので、客観的に見てどうか?正しい見方なのか?
などの批判は、ご了承いただきたいと思います。

先ず、一番の敗因は、この統合ソフトウェア機能の欠如にあったと思います。

これは、『昭和史から見た日本人-昭和編』(祥伝社、著者:渡部昇一)に書いてありますが、「統帥権干犯問題」がその根本原因であろうとは思います。「統帥権干犯問題」とは、平たく言うと、内閣総理大臣に、各国務大臣を罷免・任命する権限が無く、その権限は天皇陛下にあり、かつ、陸軍大臣及び、海軍大臣は現役の将官つまり、現役の軍人しかなれなかったために、陸軍・海軍がごねれば、内閣は総辞職しなければならなかたということです。
※「明治憲法」でそのようになっていたようです。

つまり、これは、どういうことか?と言うと、内閣総理大臣は最高権力者、最高意思決定者ではなく、しかも、陸軍大臣(陸軍)、海軍大臣(海軍)の顔色を見ながら内閣の運営をしなければならなかったのです。

また、これは、陸軍と海軍を統合的に指揮命令し、作戦を遂行することを不可能にし、陸軍と海軍は別々の動きをしてしまう原因になってしまったのです。

これで、どのようなことが起こったか?
例えば、陸軍が南方の島々で戦っている時に、陸軍の艦船がなく、補給ができなかったという事が起きました。
これは、そもそも、海軍と協力し、補給船を海軍に護衛してもらいながら海軍の艦船を使用して補給しなければならなかったのです。
また、米軍が南方の島に上陸してくるときに、海軍がそれを阻止したりしなければならかったのではないかと思います。
このように、本来、陸海軍で統合作戦をしなければならなかったのに、それぞれが別々の動きをしてしまったので、本来の力を発揮することができなかったのだと思います。

また、例えば、海軍で、艦船が100隻必要で、それは客観的な戦況を鑑みてもその通りである場合であっても、陸軍も例えば80隻欲しい(客観的な戦況を見て必要なくても)と言ったときには、話し合いで、「それでは、海軍50隻、陸軍50隻にしましょう。」などとなってしまっていたのです。

そして、その指揮命令系統が曖昧だったために、戦争の最高指揮命令機関であるべきはずの大本営政府連絡会議では、「まるで、どこか遠い国の戦争のことを話しているようだった。」などという話があります。
つまり、統合的な意思決定、本当に必要な方向に意思決定することが、現実的に不可能になっていたのです。
※現代であれば、もちろん、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の最高指揮権は内閣総理大臣にありますから、そのようになる心配はありません。

つまり、最高指揮命令系統がなく、統合ソフトウェアが無かったのです。

参考文献:①『昭和史から見た日本人-昭和編』(祥伝社、著者:渡部昇一)、②『失敗の本質-日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社、著者:戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)

Faust